「かわいい」よりも「うつくしい」といわれたい

こんにちは。元マスク女子です。

 

会社員時代、毎日のように会社でマスクをしていたことが由来です。

会社は昨年末にやめました。

 

小さなころから、よく「かわいいね」って言われると思います。

ぶっちゃけ、赤ちゃんには大抵かわいいって言えばいいみたいな文化があると思ってます。

 

かわいいって言われたら嬉しいけれど、

最近はうつくしいと言われたいな。と思うのでその話を少し。

 

「かわいい」のフランクな軽さ

そもそも、かわいいの定義ってなんだろう。

私は大抵のものにかわいいって言っている。

笑った友だちの顔がかわいいとか、コップの柄がかわいいとか、道端の花がかわいいとか、好きな人のドジがかわいいとか。

世の中は、かわいいものであふれている。

 

だから、よく男性に言われるのだ

「かわいいってなんだよ」って。

 

そんなんこっちも知らないや。

 

曖昧でふわっとしているけど、なんか好きだなって思ったら、口をついて出るんだよ。

 

せんとくんとかふなっしーはキモかわいいだし、

ヴェノムはグロかわいい。

なんにでも、「かわいい」をつけたらそれだけで好意的にみえる言葉。

それが「かわいい」だと思う。

ツイッターのいいねのような、フランクな軽さがあって、響きもやわらかい。

だからみんな使いやすいし、口にしやすい。

 

「うつくしい」の遠さ

一方、「うつくしい」ってなかなか使わないと思う。

フィギュアスケートを観に行ったり、少し近づきにくいけど、綺麗な方によく使ったりする。

すこし距離がある、憧れにつかう言葉のイメージ。

 

うつくしいものは、どこか人を惹きつける。

夜の街灯のように、ほのかだけど芯がある。

 

距離があるけど疎遠ではなく、ちょうどよい感覚。

実在するけど、べたべたしすぎない距離。

この距離感が、「うつくしい」を生むのかもしれない。

 

どれだけ肌の距離が近くても、心の距離が近づいたり離れたり

その差分で「うつくしい」と誰かの口からこぼされたら、

それは私にとってすごく価値のあることだなと。

 

今日の話は終わり。

コミュニティから離れること

おはようございます。元マスク女子です。

 

会社員時代、毎日のように会社でマスクをしていたことが由来です。

会社は昨年末にやめました。

 

はてなブログのお題スロットで遊んでみようと思ったので、

今週のお題「卒業」についてお話します。

 

最近、精神的な卒業をしました。

依存的に所属していたコミュニティから、脱退しました。

 

集団では、そこそこ顔も知られていたし、

お金の絡む絡まない関係なく集まりにも参加していました。

顔も知られていたし、名前でいじられていたので

コミュニティによく顔を出す人のほとんどが、私の存在を知っていました。

 

でも、脱退しちゃった。

 

そのころの自分の写真を見つけたので久しぶりに見返したら、

当時のあこがれだった人にとろけそうな笑顔を見せている自分がいた。

 

ああ、私はこんなにも人をいとおしく見ることができたのかと

 

それに気づけたと同時に、恥ずかしかったです。

自分の感情を失くしたと思っていたけれど、

自分が認識していないだけでちゃんとあったんだなって。

 

本当に、私は特別でもない普通の人だなと。

 

私は、そのコミュニティの根幹のビジネスに馴染むことができず、

2度の逃走をおこない、

みかねた憧れの人から

「あなたの居場所はここじゃない」

と暗にはしごを外してもらって、ようやく独り立ちしたわけです。

 

その時に、憧れの人から言われたのは

「泣いてばかりじゃなくて、いつも笑顔でね」

だった。

お金の関係や仕事の関係もあったと思うけど、

いつもかけてくれていたこの言葉だけは、

あの人の心からの言葉だと、そう信じたい。

 

独り立ちした、と言いつつ、今も色々な人に助けてもらっている。

助けてもらい方は人それぞれで。

 

ただの壁打ちもあれば、胸を借りて泣くこともある。

黙ってごはんを作ってくれる無言に救いを感じることもあれば、

美味しいの一言で笑顔になれる。

そこにいてくれるだけで、胸があたたかくなる人もいる。

 

笑って生きることが最低目標

憧れの人に言われた「いつも笑顔でね」は、私の心で生きていく。

 

その中で、もうちょっと頑張るか~~と思ったら頑張る。

 

しんどかったら、立ち止まってもいい。泣いたっていい。

私が全部許すから。

今日はここで終わり。

感情をためると人は病む

こんばんは。元マスク女子です。

 

会社員時代、毎日のように会社でマスクをしていたことが由来です。

会社は昨年末にやめました。

 

今日は、気持ちがたまると病む話をします。

 

 

 

愛を向ける先がないと人は病む 

先日、知り合って数日の知人に

「さいきん人に告白した」

というぶっちゃけ話をしたところ、愛の停滞について説かれました。

 

曰く、「愛を向ける先がないと人は病む」とのこと

 

告白したとき、

上手くいく保証はひとつもなかったし、気持ち悪がられる可能性もありました。

それでも言いたいと思ったのは

 

「この人を好きだと思う気持ちが溜まると精神が不安定になるな」

 

と感じたからです。

 

言ってから、保留中ということもあってか、別に関係が変わったわけもなく、

毎日ちょっと顔を合わせて話したり、ごはんをみんなで食べたりするくらい。

 

 ただ、言ったことですごく落ち着きはしました。

(そりゃまあ付き合ってくれたら嬉しいけどさ)

 

あと、好きだなあと思うことに罪悪感がなくなりました。

伝えた感情自体を否定されたわけではなかったのが大きい。

もし、否定されたとしても、その感情は伝えたことである種の役目を果たしたので

悲しいけれど、病むことにはならなかったと思います。

 

好きな人の話 

そもそも、私はわりと直感で恋愛をしがちです。

ここ1年半ほどは元カレを引きずったり、当時やっていた仕事の影響で恋という感情そのものが死滅していました。

(いいなと思う人はいたんですが、利害が絡んでいたり、セフレに誘われたり……)

 

だから、自然と感情が動いたのがすごく嬉しかった。

ダメなところはあげようと思えばあがるけれど、

 

この人の隣にいたいな

 

とふと思ったんですよね。

周りから勧められたりもしたんですが(めちゃくちゃ塩対応でかわした)、

すすめられる前から、彼女がいるか気にしてたし、

もしかしてこの人彼女かな??とか探りを入れてました。

 

結局、いろいろな区切りがついた数日前に、散歩に行こうと呼び出して

2人で歩いている最中に「私は君のことが好きだよ」とさらりと言いました。

(内心緊張しまくってた)

 

向こうからは

「嬉しい。けど、俺はロクでもないやつだからな。」

と言われて、あ、これフラれるのかな……と思いつつも

 

「いっぱい遊ぼう!」

といわれました。嫌われてはいなかったみたいです。

 

この場で聞いてもフラれそうとかんじたので、返事の期限を切りました。

 

「なんか緊張するな……」

 

と言われたんですが、こっちは勝ち目のなさそうな恋でも勇気だして告白してるのだから、返事のなにに緊張するんだ……と思ってます。

まじめな人なので、答えをくれると信じつつ、期限までにこなかったら、催促します。

 

わたしの恋はステータス的には保留になったので、停滞していそうですが

気持ちを伝えて、「あなたを好きなんです」ということをオンライン表示にできたことで、すごく気が楽になりました。

ちょいちょい通信がつながったら、「好きです」だけ伝えていきます。

 

フラれたら落ち込むけどね。

ただはじめようって思った

とあるキッカケで、何人かのブロガーさんとお話する機会があり、

「なるほど。とりあえずはじめてみるか。」

と思って始めました。

 

正直いろいろな機能も分かってないし調べるのもめんどうくさい。

でも、続ける力は大事だから、とりあえず続ける。

 

文字数も苦しかったら100文字とかでもいいし、

好きなことをまずは書く。

それを毎日続ける。たったそれだけ。